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2007年09月24日

プラモデル ファーストコンタクト

僕がプラモデルとファーストコンタクトをしたのは、昭和30年代、そう「三丁目の夕日」の時代です。

今でもお付き合いのあるお隣の質屋さん。近所から「ママ」と呼ばれているお嫁さんのお母さんは浅草で商売をやっていたようです。
今考えると、当時にしては小奇麗な着物を着て羽振りが良かったみたい。
質屋さんの家族が呼ぶ「浅草のおばあちゃん」が通称になっていて、たまにママ(お嫁さん)のところに遊びにくると子供たちに浅草土産を持ってきてくれました。
浅草土産といっても雷おこしや、海苔じゃないですよ。おもちゃなんです。物がなかったその頃、浅草は、新世界や、映画館、演芸場で大変な賑わいで、商店も多く、おもちゃ屋が沢山あったそうです。
浅草橋のおもちゃ問屋も近いですから、そんな関係だったかも知れません。

その浅草のおばあちゃんがお土産に持ってきたのが、なんとそれまで見たことも無いアメリカ製のプラモデルでした。
そのプラモデルはどういう理由だったか覚えていないのですが、僕と兄がもらいました。

そのプラモデル、シープやトラック、飛行機、ヘリコプターといった子供が泣いて喜ぶカッコいい乗り物がアソートされたデラックスセットです。
勿論ノンスケールで、一つ一つは今で言うと小さな食玩ぐらいの大きさで、銀色と透明パーツで簡単に構成されたものでした。

このキットにはひとつ事件がありました。何とヘリコプターの球状の透明パーツの代わりに半球形の洋服につけるボタンが紛れ込んでいたのです。
でも、アメリカがそんな間違いなんかするはずないと信じていた子供たちは、悪戦苦闘でそのボタンを削りなんとかヘリコプターにとりつけてしまいました。今だったら返品ものです。

posted by amamemodeler at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出のプラモデル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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