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2007年11月15日

プラモの プラモの「マルサン」

マルサンゴジラ.JPG1960年代半ばから、キャラ物に怒濤のような攻勢をかけてきたのが、当時のプラモデルの王様ともいえる「マルサン」です。
1964年、それまで海外プラモデルのライセンスものの飛行機を中心にスケールモデル専門だったマルサンが、なんと怪獣の中の怪獣、「ゴジラ」を世に放ったのです。
当時東宝映画『三大怪獣 地球最大の決戦』の映画パンフレットの裏表紙に載った広告は、怪獣少年にとったもの凄いインパクトを与え、大ベストセラーになったそうです。確か、発売すぐには手に入りづらかったような記憶があります。歴史に残る箱絵は、最も重量感があるとして人気の高い「キングコング対ゴジラ」のときのスチールを使っています。中身のゴジラもその特徴的なトカゲ顔の憎いやつです。
成型色が茶、紺、灰と3色あったようです。こちらも電動歩行します。そういえば同じ電動歩行ものの魁となったイマイの鉄人28号も、発売当初ブルーバージョンと茶色バージョンがあったように覚えています。ゴジラは微妙な色なので解釈も様々かと思いますが、鉄人はブルーですね。
タイムリーなことにTBSテレビで『ウルトラQ』シリーズが始まり、そこから次々と怪獣物をリリース、電動リモコンから、前後を張り合わせるだけの超ミニサイズまで、とにかく私のお小遣いは一気に底をつく有様。
やがてマルサンは、海外ものにも進出し、何とイタリアのパペットのネズミ“トッポジージョ”までプラモデル化、キャラ物のマルサンに姿を変え、その後訪れるスケールプラモへは回帰できなかったようです。
(画像は、オリジナルではありません)
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2007年11月08日

今井のギミック極まる

やがて、イマイはサンダーバードというドル箱をゲットし、キャラクタープラモデルは完成の息に達しました。
それより少し前から、小沢さとるの名作「サブマリン707」それに続く「青の6号」といったマンガキャラクターの中でもメカ物に力を入れていました。
マニアックな水中兵器はギミックを凝らし、子供のオモチャの域を完全に超えたすばらしい完成度(でティールではなく)に達しました。
私も、ジェミニ号のハイクラス版(C)を大枚はたき購入、ゴムパッキンを使った完全防水機能に大満足。記憶に残る正に逸品でしたね。

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2007年10月26日

お坊ちゃまのおもちゃ

サンダーボーイ.jpg確か、イマイにはサンダーボーイという大型のロボットキットがありました。
ラジコンを使い、走行だけではなく腕を回しピッチングマシーンのように砲弾(?)を飛ばしたり、頭部が開いてロケットを発射するといった複雑な芸当をこなせる超絶ものだったのを記憶しています。

でも、値段も凄くて、当時貧乏だった一般家庭の子供は、ミニサンダーボーイで我慢していました。

そうそう、当時のアメリカTVドラマの中でリッチなお坊ちゃま向けのプレゼントとしてよく登場していました。
「・・・やっぱり、金持ちのアメリカ人しか買えないんだねー・・・」なんて友達と納得したものです。


後で知ったのですが、サンダーボーイはイマイのオリジナルではなく、アメリカの玩具メーカーが元だったようです。

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2007年10月23日

キャラクタープラモ満開

三大マンガ月刊誌(少年、少年画報、冒険王、)、そして三大週刊マンガ(サンデー、マガジン、キング)の時代。
つまり1960年代、鉄人28号、アトム、おそ松くん、オバQ、何でもかんでもマンガのキャラクターはプラモデルになってしまいました。
そのキャラクタープラモデルを独走状態で引っ張っていのは、「今井科学」です。
イマイ(後の商標に合わせて)のプラモデルは、まさに我々少年を虜にしていたといって過言はありません。
特にモーターと電池で動く仕掛けの見事さは、日本の伝統、絡繰り人形の技術が生かされていたとしか言いようがありません。(勿論モーターは「マブチ」です。)
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2007年10月20日

プラモデル セカンドコンタクト

母の妹が豊川に住んでいて、子供がいなかったこともあり、東京に遊びに来るたびに僕たち兄弟にいろいろな物を買ってくれました。
その叔母さんも大らかな性格で、地元土産など喜ばないだろうと、東京駅に着いてから、近所の店でお土産を買ってくれました。
このとき買ってももらって暫く僕の宝物にいなっていたのが、「東京プラモ」のスターリン戦車です。勿論、リモコンで走らせる豪華版です。しかも、箱の内側が戦場の絵になっていて、箱が今で言うジオラマのベースになる仕掛けもあった優れものでした。
ファーストコンタクト以降、プラモデルは駄菓子屋で売っているおもちゃ然としたものしか作っていませんでした。
だから、このスターリンの完成度と迫力は、プラモデル好きへの第二の門をくぐった時になりました。
そのときのインパクトが忘れられず、タミヤの1/35戦車シリーズの初版スターリンも見つけたときすぐに買ったことを記憶しています。
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2007年09月24日

プラモデル ファーストコンタクト

僕がプラモデルとファーストコンタクトをしたのは、昭和30年代、そう「三丁目の夕日」の時代です。

今でもお付き合いのあるお隣の質屋さん。近所から「ママ」と呼ばれているお嫁さんのお母さんは浅草で商売をやっていたようです。
今考えると、当時にしては小奇麗な着物を着て羽振りが良かったみたい。
質屋さんの家族が呼ぶ「浅草のおばあちゃん」が通称になっていて、たまにママ(お嫁さん)のところに遊びにくると子供たちに浅草土産を持ってきてくれました。
浅草土産といっても雷おこしや、海苔じゃないですよ。おもちゃなんです。物がなかったその頃、浅草は、新世界や、映画館、演芸場で大変な賑わいで、商店も多く、おもちゃ屋が沢山あったそうです。
浅草橋のおもちゃ問屋も近いですから、そんな関係だったかも知れません。

その浅草のおばあちゃんがお土産に持ってきたのが、なんとそれまで見たことも無いアメリカ製のプラモデルでした。
そのプラモデルはどういう理由だったか覚えていないのですが、僕と兄がもらいました。

そのプラモデル、シープやトラック、飛行機、ヘリコプターといった子供が泣いて喜ぶカッコいい乗り物がアソートされたデラックスセットです。
勿論ノンスケールで、一つ一つは今で言うと小さな食玩ぐらいの大きさで、銀色と透明パーツで簡単に構成されたものでした。

このキットにはひとつ事件がありました。何とヘリコプターの球状の透明パーツの代わりに半球形の洋服につけるボタンが紛れ込んでいたのです。
でも、アメリカがそんな間違いなんかするはずないと信じていた子供たちは、悪戦苦闘でそのボタンを削りなんとかヘリコプターにとりつけてしまいました。今だったら返品ものです。

posted by amamemodeler at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出のプラモデル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月17日

プラモデル製作復活します

はじめまして、かなり長年の間プラモフアンをやっています。

プラモデルの製作を本格的に復活しようと思い、ブログを始めてみました。

いままで、仕事や何やら、製作意欲が湧かずキットを買っては積んどくコレクター化していました。

そろそろ、製作を復活しなければ・・・。

ブログを書けば製作のモチベーションが上がることを期待しています。
posted by amamemodeler at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出のプラモデル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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